「WONDERFUL STORIES」から読み解く「現実と虚構」

 

 ラブライブ!サンシャイン!! TVアニメオフィシャルBOOK2」の71ページにある「WONDERFUL STORIES」についての酒井監督のコメントですが、少し分かりにくくなっているので、読み解いてみようと思います。

 今回は国語のテストで使うような論理的な思考を求められる記事になっているので、難しめの内容…かもしれませんが、酒井監督はここで「リアリティ」の話をしているので、これを読み解くことができればこの作品の「現実と虚構」についてより深く理解することができるかもしれません。

 

【現実】

物理的に起こったこと。

 

【虚構】

物理的には起こっていないこと。

 

注1)「心象風景」は「心象 + 風景」で、普通は「現実には存在せず、心の中だけにある風景」という意味がメインですが、ここでは文脈を見ると【現実】の振り返りという意味で使われています。(なぜそうなるのかは後で書きます)

注2)物語における【虚構】とは「フィクション」や「ファンタジーのことで、決して悪い言葉ではありません。

 

 それでは以下から解説をしていきますが、黒い文字はオフィシャルブックに書かれている言葉で、青い文字は解説になります。

 

 

※2期オフィシャルBOOK 71ページ
WONDERFUL STORIESについての
酒井監督のコメントです。

■見出し

 心象風景ではなく千歌たちのキセキを体感できるアトラクション

 この「見出し」は編集者がコメント本文から切り取ってつけたものだと思いますが、本文には書かれている「完全に」という言葉が抜かれていて「心象風景は一切無い」という意味になってしまっています。これは少し間違いで、正しい見出しは以下。

完全に心象風景というわけではなく千歌たちのキセキを体感できるアトラクション

=(WONDERFUL STORIESは)すべてが【現実】の振り返りというわけではなく、中には【虚構】も混ざっていて、それらをまとめて体感できるアトラクションのようなライブステージ

 

■本文(監督のコメント)

・1行目~

 自分たちが動いた先の波紋を見ているような感覚なので、今までの体験を振り返ったわけではなくて。

=(WONDERFUL STORIESは)千歌たちが、自分たちが作り出した【虚構】を見ているような感覚なので、「ただ【現実】を振り返っただけ」ではなくて。

 「水」「実体の無いもの」で、りんごを水面に落としたら「りんごの形をした波紋」が出来るように、「波紋」「何かの形をした水の拡がり」です。つまり「波紋」とは

  • 現実を模した虚構
  • 現実の延長線上にある虚構
  • 現実の分身が虚構に干渉している

といったものの比喩です。

 つまり「WONDERFUL STORIES」には【現実】だけではなく、そこから派生した【虚構】も混ざっているということです。

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↑「波紋」のイメージ

 ここで注意することは、「波紋を見ている」と言っているので千歌たちには【虚構】が見えているということです。 

 

・2行目~

 ベタかもしれないですが、千歌たちがやったこと自体がキセキだったというのを、ファンのみなさんといっしょに体感したいという想いがこのライブパートの根底にあります。あの時、あの瞬間にしか見れないこと……。ここは完全に心象風景ではなく、千歌がこの目で見たものが全部体感できる。

=(WONDERFUL STORIESは)「全てが【現実】の振り返り」なのではなく、千歌が見た【虚構】(=波紋)も混ざっていて、そのどちらも全部体感できる。

 この「完全に」は「ではなく」にはかかっておらず「心象風景」のほうにかかっていて、「"完全な心象風景"  では "ない"」、という部分否定になっていることに注意。

 「千歌がこの目で見たもの全部」は、千歌が実際に肉眼で見た現実と、心で見た虚構の「どちらも全部」ということです。

 この最後の1文ですが、実は1行目の文と同じことを言葉を変えて言っているだけで、同じ位置にある言葉としては「波紋」=「千歌がこの目で見たものが全部」「今までの体験」=「心象風景」となります。つまり、この文章における「心象風景」とは「今までの体験」のことであり、「現実の振り返り」という意味で使われていることがここまで読んでやっと分かります。

 

・5行目~

 「ラブライブ!サンシャイン!!」は、千歌たちと同じ乗り物に乗って体験するアトラクションだと思うんです。だから乗り遅れないで!

=千歌たちは簡単に【現実】と【虚構】を行き来するけど、視聴者のみんなも乗り遅れないで!

 この作品は虚実が入り乱れるアトラクションだけど、付いてきてね!と言っています。

 

・6行目~

 千歌が見えているものを見ている。第12話のドキュメンタリー風のインタビューや、「MIRACLE WAVE」のダンス中に千歌が仲間へ目配せするシーンもそうですけど、いっしょに体感してほしいというのがあって、視点が1つ増えると思ってPVは作っていました。本当はカメラにならなきゃいけないんだけど、しだいに第3者の視点から見れるように作っていましたね。それが「WONDERFUL STORIES」によく出ていると思います。

=作品全体として「千歌と一緒に体感・体験するアトラクション」であり、【現実】も【虚構】も千歌たちと一緒に体感してほしいという作品で、それが「WONDERFUL STORIES」にもよく出ていると思います。

 

・12行目~

 自分の悪い癖なのかもしれないですけど、リアリティーは分かるんです。100歩ほど歩いたらどこに着いて、200歩ほど歩いたら坂を上って、300歩ほど歩いたら屋上に着いたという。でも、物理的な現実感と自分の心の現実感はちょっと別なんです。

=【現実】と【虚構】はちょっと別なんです。 

 作中で「現実感」がおかしいと思った箇所があったらそれは【虚構】だと思ってください、ということでしょうか。

 

・14行目~

 あれは千歌1人の心の動きではなく、9人の全員、浦の星の生徒全員の心の動きが、千歌に要約されているんです。それをあのような映像で表現しています。

 12行目からの文章と一緒に読み取ると、「あれ」「あのような映像」「最終話後半の紙飛行機を追いかけるところからWONDERFUL STORIESにかけて」のことで、映像では千歌がメインになっていますが、Aqoursや他の生徒たちも千歌と同じ気持ちだということ。このあたりの指示代名詞の多さも分かりにくさにつながっていますが、これは次に述べてるように答えを限定させないためでしょう。

 

・16行目~

 あまり答えを限定せず、観た人がそれぞれに感じてほしいと思っています。第13話のストーリーとしては、千歌が「最初からあったんだ」と自分で答えを語るという構成にしましたけど、あの時に起こっていることはひょっとしたら……。想像がふくらむように作っています。

 千歌が見たもの全てを一緒に体感しながらも、どこまでが【現実】でどこからが【虚構】なのか、想像してみてくださいということ。あのライブパートではもしかしたら本当に現実で衣装やステージを替えて歌ったのかもしれないし、「最初からあったんだ」という千歌の言葉は実際には語られていなくて、Aqours全員の「心の中の言葉」だったのかもしれない、というふうに。

 

 

 これで酒井監督のコメントの読解は終わりですが、まとめると

『WONDERFUL STORIESのライブ映像は物語の軌跡を振り返ったものではありますが、それは"波紋"のようなもので【現実】も【虚構】も全部入ったアトラクションなんです』

それはこの作品全体も同じで、たまに現実感がおかしいと感じることもあるかもしれませんが、付いてきてください』

 ということです。長々と書きましたが分かってる人にはまあ当たり前のことだと思います。ただ、これが監督の言葉として明言(かなりボカされてるけど)されたことは大きいと思います。

 

 さて、ここで重要なのは「WONDERFUL STORIES」が「波紋」であるなら、この物語の中の「あらゆるリアリティラインが動き出す」ということです。


 例えばあのとき見えた虹、あのとき犬が振り返ったこと、あのとき雨が止んだこと、あのとき紙飛行機が飛んだこと。そんなことが「もしかしたら"波紋"だったのかもしれない」ということなんです。

 

 はじめにも書きましたが、このような物語における「虚構表現」は決して「悪い嘘」ではないのです。何もないところに波は起きないわけで、波紋を起こすためには凪いだ水面に「何かが落ちる」必要がある。


 キャラクターたちの「強い想い」が水面に落ち、何倍にも増幅されて"波紋"を起こし、まるでファンタジーのような現象が起こりだす。そんな【現実】も【虚構】もぜんぶまとめて、キャラクターたちと一緒に体感してほしい。これが酒井監督の「虚構表現」なのです。

 

 「空飛ぶ車」はもちろんファンタジーですが、そのあと雨が止んだこともファンタジーかもしれない。もしそうだとしたら、そこに至るまでの鞠莉や果南の強い想いがそれを引き起こしたわけで、逆にファンタジーだからこそ、その「想い」が何なのか知りたくなるし、キャラクターたちの想いが「映像として目に見える」からこそ、その想いの強さも視覚的に伝わってきます。

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 逆に、人によっては「あのとき車が空を飛んだこと」が【現実】に起こったことだと信じて疑わない人もいるでしょう。でも、酒井監督から言わせると「それも大正解」なんですね。

 ようやく「しがらみという重力」から解放されて「自分自身のために」「次の夢に向かって」歩き出した3年生の心は空を飛ぶほど軽くなり、本当に空を飛んだんだと。

 

 アニメという媒体は「線と色と音の世界」であり「そもそもすべてがファンタジーなんです。そんな「アニメの持つファンタジーの可能性」を信じている人ほど、このようなリアリティラインの引き方になるような気がします。

 女子高生が空を飛んでも良いじゃないか。だってアニメなんだから。

 

 そして酒井監督は、そんなふうに「波紋の中をたゆたう」のはとても心地良いんだよ、と言っているのです。あれが波紋だったら良いな、でもあっちは現実だったら良いな、と「自分が思うリアリティラインに想いを馳せて作品を楽しんでみてね」「何度でも自由にリアリティラインを引きなおしてみて、作品を自由に味わってみてね」と言っているんですね。

 

 そんな「リアリティライン」という味付けを知ったうえで、千歌たちの物語をもう一度味わってみると新しい発見があるかもしれませんね。