「海に還るもの」
梨子が作曲した『海に還るもの』という曲について。
『海に還るもの』という曲名はなんとなく意味深で、多くの人はその意味について考えたことがあると思います。
- 思い悩んでいた梨子自身がテーマ?
- 原初の海=自分のルーツに立ち返る?
- 「光の海」と一体化する?
- さいごは「泡」になる?
このようにいくつかの解釈をすることができますが、「文字から連想されるもの」と「梨子が思い悩んでいたときに作った曲」だという背景からネガティブな印象を持っている人が多いかもしれません。
もちろんそれでも全く問題ないのですが、
- 1期10話「シャイ煮はじめました」
- 1期11話「友情ヨーソロー」
- 2期12話「光の海」
このあたりの梨子の変化を細かく見ていけば「もうひとつの解釈」のようなもの、物語の時間軸とはまた違った「暖かい側面」もなんとなく見えてくるんです。
そこで本記事では『海に還るもの』についての「別解」のようなものを書いていこうと思いますが、「こんな解釈も素敵だよね」という感じで読んでください。
■1期10話の「梨子の変化」
まずは1期10話「シャイ煮はじめました」のBパートに入ってすぐのシーンです。
Aqoursの合宿中に「ラブライブの大会」と「梨子のピアノコンクール」の日程が被っていることに気付いた千歌は、梨子にそのことを聞きます。
まずここの千歌の「えっ?」についてですが、ここで千歌は「何かに驚いて」いますね。何に驚くのかと言えばもちろん直前に聞いた「梨子の言葉」しかありません。
つまり、梨子の「ラブライブに出る」という答えは千歌にとっては「想定外」で、「梨子はピアノコンクールを優先する」と千歌は思っていたということが分かります。
だって、1期2話のときは「梨子がまたピアノに向き合えるようにスクールアイドルをはじめる」という話でしたよね。
このように、はじめの梨子は「Aqoursよりピアノのほうを優先する」という気持ちからスタートしていましたが、1期10話の梨子はAqoursでの経験を通して考えが変わっているんです。
梨子は「今の私の居場所はここ」だと言い、今の自分にとって『一番大切なもの』は「学校やみんなやスクールアイドル」だと言っているんですね。
梨子はあの頃から「変化」していますが、それは決してネガティブな変化ではありません。今までピアノに打ち込んできた梨子がAqoursや友達の大切さにも気付くことができた、という「暖かい変化」なんです。
この「梨子の変化」をよく抑えておいてください。
■ 千歌の「悲しそうな笑顔」
そして梨子の「ラブライブに出る」「今の私の居場所はAqours」という返事を聞いた千歌は「そっか」と言いながら「悲しそう」な「笑顔」を作ります。
千歌は、何が「悲しく」て何が「うれしい」のでしょうか?
ここまでの梨子の変化と千歌の想いをたどれば分かりますが、このときの千歌は「梨子が自分の中の大切なものを忘れかけていることが悲しい」んですね。千歌は「梨子がまたピアノと向き合えるように」とずっと思っていたから。
梨子は変化していましたが、千歌の気持ちは変わっていません。梨子の変化を「暖かい変化」だと書きましたが、千歌のこの「変わらない気持ち」も同じくらい暖かいですよね。
ではそのあとなぜ「笑顔」になっているのかといえば、「梨子がAqoursのことを心から大切に思ってくれていることが、千歌にとってはうれしい」からなんですね。
自分が始めたAqoursで、自分が誘ったAqoursだから。
自分が始めたAqoursに対してこんなにも真剣に向き合ってくれて、そのAqoursのことを「一番大切」だと言ってくれたら嬉しいに決まってます。
だから「"悲しそう"な"笑顔"」なんです。
梨子の中の優先順位がいつの間にか逆になってしまっていることが、千歌にとっては悲しくもあり嬉しくもあるんですね。
梨子が『一番大切なもの』を忘れかけていることは悲しい。できればそれを思い出してほしい。
でも、Aqoursが自分の居場所だと言ってくれたことは嬉しい。
この「悲しさ」も「嬉しさ」も、どちらの感情も「梨子のため」に出たもので、それはどちらも暖かい感情なんです。どちらも暖かいのに、それでもなお2つの感情の間で葛藤し「どちらがより梨子のためになるのか」を考える千歌が、どれほど梨子のことを大切に思っているかが分かります。
梨子は自分の『一番大切なもの』を「Aqours」だと言いましたが、千歌にとっての『一番大切なもの』は目の前にいる『友達』なんだということも同時に見えてくるような、そんな感じもします。
そしてここの伊波杏樹さんの「そっか」という演技の技術も本当に素晴らしいと思います。このたった3音に「ふたつの感情」がちゃんと込められているので、改めて聞いてみてください。
そしてその後の千歌の「梨子ちゃんがそう言うなら」というセリフ。
「ピアノコンクールに出てほしい」というのは「千歌からのお願い」なんです。梨子が本心から「私の居場所はここなんだ」と言っているのに、その「居場所」であるAqoursにとって大切な大会がある日に「東京に行ってほしい」と言うのは、千歌からしたら「自分勝手なお願い」なんです。
だから「梨子ちゃんがそう言うなら」と言って、「自分のお願い」を取り下げているんですね。しかしそれは「どちらがより梨子のためになるか」を考えた結果であり、梨子のことを深く大切に想っているからこそ、その想いが「梨子ちゃんがそう言うなら」という優しくて暖かい言葉になっているんです。
心は「すれ違う」んだけど、まったく「冷たく」ない。
そんな二人の「すれ違いの温度」はとても暖かく、だからこそ切なくて、本当に良いシーンです。
お互いにお互いのことが大切で、触れ合えばやさしくゆれ動く。
3年生の「すれ違い」とはまた違った温度の、いつまでも浸っていたい夏の夜のような暖かさです。
梨子の変化、それを包む千歌の想い、表情の作画、劇伴の効果、声の演技。
そういったもの全てがとても高いレベルで交わる、「サンシャイン!!」の中でも屈指の名シーンです。
このシーンのラストで、千歌は悲しそうにうつむいています。
この描写によって千歌の「悲しくて嬉しい」感情の中でも「悲しさ」のほうが大きいことが分かり、これが次の展開へつなげる役割を持ったカットになっています。
■ 梨子の「居場所」と『海に還るもの』
次の日、千歌は『海に還るもの』の楽譜を見つめる梨子を見て「どちらがより梨子のためになるか」の答えを出します。
2回目の梨子とのシーン、『海に還るもの』が劇中ではじめて流れるシーンです。
千歌は「ピアノコンクールに出てほしい」という「自分のお願い」を梨子に伝え、それを聞いた梨子は本気でショックそうな表情をします。
だってそうですよね。梨子はつい昨日の夜、「ラブライブに出る」「Aqoursが今の自分の居場所」と千歌に伝えたばかりなんだから。
梨子は「私が一緒じゃ嫌?」と返しますが、これは「私が一緒にAqoursの活動をするのは嫌?」という意味で、「私の居場所はAqoursには無いの?」ということです。Aqoursが『一番大切なもの』だと思っていたのに。「私の居場所はここ」だと思っていたのに。
それを受けた千歌は自分の想いを梨子に話し、「わたし待ってるから」と言います。「この場所が、Aqoursが、梨子ちゃんの居場所だよ」と言うのです。
梨子の本心をしっかりと受け取ったうえで「梨子ちゃんの居場所はこの"海"なんだから、いつでも"帰ってきて"いいんだよ」 「東京に行って答えが出たら、また"この海に帰っておいで"」と言って、やさしく東京に送り出そうとしているのです。
このシーンで流れている曲は『海に還るもの』です。
その「暖かい側面」が、なんとなく見えてきたような気がしませんか?
■『海に還るもの』
梨子ちゃんが東京に行っても、内浦の海で帰りを待ってるから。
Aqoursのみんなとここで一緒に待ってるから、いつでもこの海に帰ってきていいんだよ。
この千歌のセリフだけを見て『海に還るもの』という言葉を紐解いていけば、「海」というのは「内浦」や「Aqours」のことで『海に還るもの』というのは「内浦やAqoursから離れても、いつかまた帰ってくる人」つまり「東京へ行く桜内梨子」そのものを指していると取ることができます。
このセリフの前に、梨子がピアノで弾いてくれた『海に還るもの』を聞いた千歌は「梨子ちゃんがいっぱい詰まった良い曲だね」と言うのですが、そのことからも千歌の中では『海に還るもの』と「梨子」はつながっているということが分かります。
冒頭でも書きましたが、現実的に考えれば『海に還るもの』は梨子が内浦に来る前に付けたタイトルであり、思い悩んで「息が詰まっている」自分が「まるで海の中にいるように苦しい」という意味で付けた曲名かもしれません。「深くて冷たい海の底でピアノを弾く指が動かなかった」みたいに考えれば、物語的にもモチーフ的にもしっくりきます。
梨子自身も「そんな良い曲じゃないよ」と言っていますしね。
しかし、千歌はそんなメロディーを聞いて「良い曲だね」と言うんです。『海に還るもの』は「梨子ちゃんがいっぱい詰まった良い曲だね」だと言うんです。
物語と劇伴(劇中の音楽)は切り離せるものではありませんが、千歌が言った「良い曲」という言葉に寄り添って敢えて物語上の『海に還るもの』と劇伴としての『海に還るもの』を切り離したとき、そこに込められた新しい側面、「曲が持つ二面性のようなもの」が見えてくるのです。
ここまでをまとめると、『海に還るもの』とは「東京へ行く梨子」のことでありその中には「いつでも、この海に還っておいで」という千歌の「願い」のようなものが込められている、ということになります。
これで『海に還るもの』の「暖かい側面」のようなものは見えた気もしますが、劇中で『海に還るもの』が流れるシーンはもうひとつあるので、今回はそこまで読み進めていきます。
■ 泣きそうな千歌
千歌の「わたし待ってるから」という言葉を聞いた梨子は「ほんと、変な人」と言って千歌に抱き付きますが、それを受けとめる千歌は今にも泣きそうな顔をしていました。
梨子は千歌の言葉を受けて「ピアノコンクールに出る」という答えを出したのですが、それを聞いた千歌はなぜ泣きそうな表情になっているのでしょうか?
自分の「ピアノコンクールに出てほしい」という「お願い」が通ったのに、なぜ「とても悲しそう」なのでしょうか?
それは、梨子と離れることになるから。
『海に還る』ためには、「海から離れる」必要があるんです。
このときの千歌の『一番大切なもの』は目の前にいる『友達』なんです。そんな『一番大切なもの』と離れるのは、たとえ一時的でも、たとえ「自分からのお願い」だとしても、悲しくてたまらないんですね。
そんなに悲しくなるなら東京に行かせなければ良いと思いませんか?梨子もAqoursのほうが大切だって言ってくれたんだから。
でも、千歌の「梨子を大切に想う気持ち」はそんなに「浅くない」んです。
普通の「大切」だったら「できるだけ一緒にいたい」から東京には行かせないと思います。
でも「本当に大切な存在」であるなら、「本当にその人のためになること」を選択することができるんです。
そして千歌は、梨子と離れることが悲しくても、梨子を東京へ送り出す『決意』をしました。
■『想いよひとつになれ』
そして次の1期11話「友情ヨーソロー」では『想いよひとつになれ』という曲が歌われますが、そこでは「どこにいても想いがつながりますように」という千歌の"願い"のようなものが歌われています。
なにかをつかむことで
なにかをあきらめない
想いよひとつになれ
どこにいても同じ明日を信じてる
これは梨子が「海」から離れている間でも「想いがひとつになりますように」ということで、「もし離ればなれになったとしても、想いだけはつながりますように」という「祈り」のようなものが込められています。
梨子がいなくなることが悲しくて想像するだけでも泣きそうでたまらないのに、それでも梨子のために、梨子にとって『一番大切なもの』が見つかるようにと「自分からのお願い」をして東京に送り出し、梨子がいないステージで『想いよひとつになれ』という願いを歌う。『海に還るもの』のメロディーの中に祈りをこめて。
そんな高海千歌というキャラクターの在り方を、その祈る姿を、好きにならない人なんていないんです。
■ 想いがひとつになるとき
そしてそんな千歌の「願い」は、物語終盤でしっかりと梨子に届くことになります。
2期12話で「ラブライブ!サンシャイン‼︎」という作品の根底にある「問い」がAqours全員に問われたとき。
「ラブライブ、勝ちたい?」
このシーンは梨子がピアノで『想いよひとつになれ』を弾くところからはじまり、そのまま劇伴として『海に還るもの』につながっていて、1期10話と並ぶ『海に還るもの』が流れる「もうひとつのシーン」になります。
つまりここは梨子にとって大切なシーンであり、梨子なりの「答え」のようなものが表れているシーンなのかもしれません。
「ラブライブに勝ちたいかどうか」という「問い」に順番に答えていくAqoursメンバー。梨子はそれに対して何と答えましたか?
千歌のおかげでまたピアノと向き合い、音ノ木坂で再びピアノを弾けるようになった梨子には、もうスクールアイドルの活動を続ける理由はありません。当初の目的は達成したのだから、『海に還る』必要はもう無いはずです。
それでも、この「問い」を受けた梨子は千歌に何と答えましたか?
あなたのおかげで、わたしの『一番大切なもの』は見つかったよ。
だからこそ、あなたと始めたこの道に、みんなで歩いたこの道に、その「証」を残したい。
あなたと一緒に、私たちの「海」の中で。
千歌との出会いからはじまって、ラブライブ決勝まで。
1期10話の『海に還るもの』という"願い"は、2期12話の『海に還るもの』という"答え"にたどり着くのです。
■ そして「次の海」へ
2期12話ではそのあと、ラブライブ決勝で『WATER BLUE NEW WORLD』という曲が披露されます。
「WATER BLUE」というのは「青い水」で、水が青くなるような条件を満たす身近なものといえばもちろん「海」ですよね。
この「海」は、この話のタイトル「光の海」を意識したものではありますが、「千歌と梨子の物語」においては『海に還るもの』とのつながりもなんとなく感じます。
この曲のサビ前は、梨子が「生まれ変わる」ような振り付けになっています。
MY NEW WORLD
新しい場所 探すときがきたよ
次の輝きへと 海を渡ろう
夢が見たい想いは いつでも僕たちを
つないでくれるから 笑って行こう
『海に還るもの』の解釈では「海」は「内浦やAqoursのこと」と書きましたが、『WATER BLUE NEW WORLD』まで視点を拡げたとき、その「海」は「想いがつながる場所」のような解釈になるのかな、と思います。
そう考えれば『海に還るもの』の解釈も「物理的に海に帰る」のではなく「心だけでも海に帰る」というふうに変化しそうですね。
「次の夢」を追いかけてどこへ行ったとしても、あの頃の「海」を思い出して笑って行こう。この「海」はつながってるから。
"いつでも、この海に還っておいで。"
はじめはネガティブな曲のように思えた『海に還るもの』。
この作品に出てくるモチーフは、その「高度」や「温度」が「心の軽さ」や「情熱」と結びついています。そう考えると「海」というモチーフは「地面より低く」「温度も冷たく」「水圧がかかって身体が動かない」ため、モチーフの解釈としてはかなりネガティブなものなんです。
それでも「そんな海の中にあるもの」に気付くことができれば、深くて冷たい海もキラキラと光り出し、まるで「空」と変わらないくらい自由に動ける「光の海」になる、それって「すごくAqoursらしい」気がしませんか?
味方なんだ 空もこの海も
さあがんばるんだと 輝いてるよ
以上、「千歌と梨子の物語」と『海に還るもの』についてのお話でした。